Case.18

ことばの教室 ことりんく|言語聴覚士 吉岡 麻衣さん

人生は「言語聴覚士」の仕事と共に..
うきはで実を結んだ“ことばの教室“

文:大内理加 (大内商店) /
写真:Shintaro Niimoto (studio SARA)

喜びも苦難も全てを糧にして
子どもを明るく照らす強さの秘密とは

ことばの教室 ことりんく
ことばの教室 ことりんく
ことりんく

「ことばの教室 ことりんく」はご主人の吉岡亮次さんのお店「ぱんのもっか」に併設している。吉井町らしい白壁の佇まいもかっこいい。

「病める時も健やかなる時も…」
うきはで「ことばの教室 ことりんく」を営む吉岡さんが、一生を共に歩むと誓ったのはご主人だけではない。「言語聴覚士」という天職にも、生涯をかけて真心を尽くすと誓ったのではないだろうか。
決して平坦とは言えない吉岡さんのストーリーをお聞きして、まずそう思った。 言語聴覚士というまだまだマイナーな分野への挑戦、結婚、出産、子育て、そし て闘病…。苦しい体験も屈託なく話してくれる吉岡さんの姿はしなやかで力強 く、まるで光に照らされた一本の大きな木のようだ。
不安な時に温かく寄り添ってくれる存在は、生徒にとってどれだけ支えになっていることだろう。ここにいられる事がうらやましくなってしまうような穏や かな時間が、今日も「ことりんく」には流れている。

ことりんく吉岡さん

「ことりんく」では、ことばや発達の遅れ、学習障害、自閉症、ADHDの方から、診断されていないがコミュニケーションが取りにくいと感じる人まで、さまざまな相談に応じる。『「ことば(コミュニケーション)」に関する専門家として駆け込み寺になりたいと思っています』

子育て・進学・キャリアを重ねて
手探りで目指した言語聴覚士への道

吉岡さんが「言語聴覚士」という職業に出会ったのは高校の進路選択の時だ。
「子どもが好きだったのとドラマの影響でリハビリにも憧れがあり、それがマッチしたのが言語聴覚士でした。でも当時は本当にマイナーで国家資格がなかったので、就職後は診察だけではなく他の病院の立ち上げも任されていました。まだ25歳なのに、気づいたら部下を何人も抱えた中間管理職になっていたんです」
多忙な日々の中、患者さん一人一人のカウンセリングも思うようにできない上に、じっくりと勉強する時間もない。結婚後ようやく仕事を半分減らし、妊娠を機に生活を改めた。
…と言っても、産休中にゆっくり休もうとしたのではない。言語聴覚士の勉強をするために高知の大学院への入学を決意したのだ。

ことりんく 吉岡さん

当時を振り返って『産んですぐは子育て大変でした。でも母が付いてきてくれて、私の専属保育士になってくれて。子どもが初めて歩くところも母が見たんですよ (笑)。家族には本当にありがたいなと思います』

一時期は学生と仕事と子育てをこなしていた吉岡さん。慌ただしい日々も辛いと感じたことは無かった。
「大学院では念願だった子どもの言語療法について、実習をしながら理論立ててしっかりと学べました。それに、一つの問題を解決すると、他の面も伸びていく。子どもさんが変わっていく様子が目に見えるのが嬉しくて、それまでモヤモヤしていたものがパッと晴れた気がしたんです」
もう一つ、子育てを通して学ぶところも多かった。
「子どもさんのカウンセリングの場合、最初は大体保護者の方とご一緒にいらっしゃいます。むしろ、保護者の方の話をお聞きするのが大事な場合もありますので、そこには⻑く時間を取るんです。でも子どもができる前は、保護者の方の目線に立てているか、自分でも引っかかるところがあったんですよね。産んでから職場復帰した時に、自然とお母さんに対する感謝の気持ちが湧いてきたんです。『ここまで育ててくれてありがとう、子どもってかわいいですよね』って同じ目線から話せるようになった。それは自分の中でも大きな変化でしたね」

初めて訪れた場所・うきはでの起業
病床で気づいたのは背負いすぎていた自分

ことりんく

人気店を切り盛りするご主人は吉岡さんにとって同志のような存在。「普通、自分がお店やってたら、妻には手伝って欲しいとか、支えて欲しいと思うんでしょうけど、そういうのは全然言われたことがないですね。家事もできる人がやればいいやんって。だから、洗い物なんかも全部やってくれるんですよ。仕事で疲れて家事をして不機嫌な顔になるよりはよっぽどいいって。お互いに仕事の相談もし合ったり。夫婦では仕事の話しかしないから、子どもにも怒られるんですよね(笑)」

子育てをしながら言語聴覚士としてのキャリアを積んできた吉岡さんにまたも分岐点がやってきた。未知の土地・うきはへの移住である。きっかけはご主人のベーカリーショップ「ぱんのもっか」の開業だった。

「母の親戚のパン屋さんが閉店するので、その跡地で店をやらないかと言われたんですよ。当時は私が大学院に通っていたので、先に主人がうきはに移住して店をオープンさせたんです」
吉岡さんも単位を取ったら追いかけるつもりだったが、夏頃に乳がんが見つかった。治療は⻑期に渡るため、うきはで療養することに。
「最初は1年ぐらい療養したのかな。手術と放射線治療だけだったので年明けには動けるようになったけど、病気に加えて慣れない土地での生活もあって、その一年は結構辛かったです」
その後、ご主人の店を手伝いながら復学して卒業。その後は一度田主丸の施設に就職したものの、恩師が「子どもの言語療法の施設をつくれ」と言ってくれたことを思い出し、「ことりんく」の構想を進めていた。
「就職している時に2回目、3回目のがんが再発しました。3回目は抗がん剤を使わなければならなくなったんですよ。髪の毛も全部抜けて、一年間治療しました。その時『これ、私が治そうと思わんと、治らんなあ』と初めて思ったんです」
それまでは、病気の事を考えるのが怖くて、不安な気持ちにずっと蓋をしていたという吉岡さん。それでも、徐々に形になっていく「ことりんく」の構想が病気と向き合う原動力となった。
「とにかく病気や健康について勉強しました。そうしたら、いろんなものを背負いすぎてしまう自分の性格にも気付いたんです。元々、ゆっくりのんびりしていたいタイプなのに、真逆の事をずっとしちゃってたんですね。その時の無理が体にも出てしまったのかなって」

子どもと保護者に寄り添いながら
頑張りすぎない自立を目指して

「ぱんのもっか」と同じく、「ことりんく」にも鳥のモチーフが使われている。テーマカラーは⻘空でもあり、水路のブルーも思わせる。『耳納連山の風景とか白壁の街並みと水路を見ると、うきはって本当にいい町だなあと思います。ちょっと息苦しくなった時にはパンを持って外に出ればぼーっとできるし、夜は歩いていける距離に美味しいお店がたくさんありますよ』

2度3度と訪れる病魔に対して、こんなにも真っ向から向き合っていける心の強さは並大抵ではない。しかも、この時に抱いた思いもまた、「ことりんく」でのカウンセリングに生かされている。
「カウンセリングにいらっしゃる子どもさんの保護者の方も同じように考えているのではと思ったんです。『みんなと一緒じゃないと』という不安があるから、子どもさんにはできないことを無理やりさせてお互いに追い詰められてしまう。
だから、まずは『なんでそうしないといけないと思うの?』という問いかけから始めるようにしています。例えば、「忘れ物が多い」という悩みに「忘れ物をするのはどうしていけないと思うのか」とかですね。忘れ物をしちゃっても、貸してもらって「ありがとう」とお礼が言えれば、それでいいんじゃないかと。もちろん、忘れ物をしないように努力することも必要ですが、忘れっぽい子を無理やり治すというのではなくて。時には先生や他の人に委ねてみてもいいし。そう考えると保護者の方の気持ちも少し楽になるんじゃないでしょうか。こんな視点が持てたのは、3回目の闘病があったからですね」

「私、本当は“障がい者”はいないと思っているんです。子どもを一般の常識の枠にはめようとするから、そこからはみ出したものを“障がい”と呼んでいるだけ。だから、『ことりんく』のゴールは、その子が社会に出て自分で生活できるようになった時なんです。それはどんな形でもいいんですよ。いろんな人の手を借りてでも、その人が社会で楽しく暮らしていければそれがゴールです。そのために、私は支えるとか導くというよりは、横に並んで一緒に考える。私はここにいるから話をしたいなら聞くよ。一緒に悩もうよくらいのスタンスがいいのかなって思っています」

うきはの魅力に気づいたことで
「ことりんく」の可能性が見えてきた

ことりんく 吉岡さん

さまざまな経験の果てに、オープンした「ことりんく」。今はうきはという地域性を生かしたプランも構想中だ。
「うきはは移住してきた人が多いのですが、みんな変わったお仕事してるんですよね。農家やアーティスト、料理人も多い。ということは先生がいっぱいいるんですよ。うちの生徒は得意不得意がはっきりしている子が多いので、それぞれが得意な事を追求できるよう、先生たちの姿を見せてあげたいんです。うきはの資源と人は彼らにとってすごくいい学びの場になるはずです」

実際に地元の人々とのワークショップも少しずつスタートしている。この間は、アウトドアグループ「ブルーシップ」との火起こし体験が開催された。「ぱんのもっか」のテラスで火を焚いて、竹に巻いたパン生地を炙って食べるアウトドアクッキング教室だ。
さらに「うきは祭り」では、生徒たちがパンの模擬店やワークショップの売り子として大活躍。普段からも「ぱんのもっか」で買い物のトレーニングをしたり、時にはバスで遠くに行ったりと、教室を飛び出しての学びも積極的に行っている。

小学2年生の小さな発明家が作った「ビー玉転がしゲーム」。盤をそのまま動かして、ビー玉をゴールまで転がす。プロペラやトンネルもあり、やりだすと大人でも熱中する。「うきは祭り」でも大好評だったそう。

工作が好きな子どもと滑車を使った装置を考え中。手作りのデザインにほっこりする。さて、どんな装置が出来あがるかな。

また、「ことりんく」の生徒には町外の子どもが多いが、地元の子どもにも、うきはの良さを教えたいとさまざまな企画を練っている。
「外から人を呼ぶだけではなくて、今いる子を大事にするのも重要です。子どもの頃の体験って、ずっと残っていることも多いじゃないですか。一回外に住んだとしても、いつかはうきはってよかったんだなと思って欲しい。
地元出身ではないからこそ、うきはの魅力をすごく感じているし、子どもに魅力を知って欲しいと思っています」

吉岡さんの話を聞いていると、ワクワクするようなプランが次々に出てくる。もしかしたら、一番楽しんでいるのは本人なのかもしれない。
「一日なんて気の持ちようで変わるんです。どんな状況でも幸せと思えば幸せなんですよね。1回目と2回目の手術の後は、再発の恐怖がずっとあって。これさえなければ私幸せなのに、私の人生半分損してるなとか。不幸だなという気持ちがずっとあったんですね。でも、そうやって不安だとか怖いと思っている一日も、楽しく過ごせた一日も同じ一日。そう思うと、不安が全然なくなった。それがいいんでしょうね」

さまざまな経験を全て栄養にして、みずみずしい葉をめいっぱい広げる大木には、たくさんの小鳥がとまる。それぞれの歌声で元気にさえずりながら。
吉岡さんがいる「ことりんく」を見ていると、そんな風景が頭に浮かんでくる。

<店舗情報>

店舗名:ことばの教室 ことりんく
WEB:http://kotolink.jp
FB:https://www.facebook.com/kotolink/

住所:福岡県うきは市吉井町1127‐5(ぱんのもっか内)
TEL:0943-76-9219(予約制)
営業時間:9:00~18:00
定休日:月曜〜日曜

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