Case.12

龍宮株式会社|梯 恒三さん

会社で一番機械に詳しい3代目が
現場力から考える会社の未来とは?

文:大内理加 (大内商店) /
写真:Shintaro Niimoto (studio SARA)

日本全国に熱烈なファンを持つ
ヒット商品「パシーマ」をメインに展開

梯恒三さんが3代目社長を務める「龍宮株式会社」の会議室の壁には、びっしりとラブレターが貼ってある。日本全国に住む老若男女から届いた熱烈なメッセージは、梯さん宛でも、会社の誰宛でもない。これらは全て看板商品の「パシーマ」に充てられたものだ。
龍宮株式会社の「パシーマ」は、ガーゼと脱脂綿を作り続けた会社だからこそ生まれた寝具。医療用に用いられる脱脂綿とガーゼを特殊な工法で合わせた生地は、毛羽立ちも無くおろしたてはパリッとハリがあって心地よい。洗う度にふんわりと肌に馴染むようになる。夏は汗をしっかり吸い取り、冬は空気を含んで温かい。皮膚が敏感な方なら、より快適さを実感できるだろう。
「もう他のシーツには浮気できない」「手放せない存在になっています」と、この寝心地のトリコになった人が日本全国からラブレターを送ってくるのだ。全く魔性のシーツである。

「パシーマ」はパットにも、シーツにも、マットにも使える寝具が名前の由来。タオルケットとして上にかけてもいい。品質は、有害物質を含まないとする世界最高規格「エコテックス」で最も厳しいクラスI基準をクリア。寝具では日本で最初の認証取得となる。子どもやアトピー、アレルギー体質の方にも愛用されている

商品に封入された感想ハガキはトータルで約1000通。年配の方もいれば、若い母親、男性など、世代も幅広い。熱心なファンからは感動の声だけではなく、商品のリクエストも寄せられるという

様々な困難に立ち向かう社長の背中を
必死に支えながら社会人生活がスタート

「パシーマ」を開発した龍宮株式会社が産声をあげたのは昭和22年。当時は戦後すぐのモノのない時代で、初代社長の梯禮一郎さんは残存する機械で布団わたから糸を作る特殊紡績業として創業したのだという。その後、医療用の脱脂綿、ガーゼなどを生産していたが、自身が重度のアトピーに悩んでいた事をきっかけに開発されたのが、この寝具「パシーマ」だ。「会社の業績が厳しくなってきた頃、そのストレスが祟ったのか、一気に先代の体調が悪化したんです。症状が悪化する度に強い薬を使い続けて、とうとうお医者さんから薬を辞めろと言われました。そこで以前から本人が口癖のように言っていた「脱脂綿は薬だ」という言葉を信じてパシーマの開発に乗り出しました。試行錯誤を重ねて現在の形になるまでに約25年。最初は工場自体も火の車でした」そう語る3代目社長の梯さんは、当時まだ大学生。実家の危機にまるで難破船に乗り込むような気持ちで帰郷したという。

開発された「パシーマ」は表面がガーゼ、その間に脱脂綿の中綿が挟まれている3層構造。キメの細かく肌触りの良いガーゼはキルティング加工され、洗濯の時はネットも不要。しかも乾きが早く、天気が良ければ2、3時間で乾燥するそう

パシーマの脱脂綿に使うのは上質なメキシコ酸の綿で繊維が長いものを厳選。通常の脱脂綿よりも毛足が長く、ふっくらと優しい手触り

会社存続に危機の中でできる事を探して…
修羅場で鍛えられた現場力

「私がこの工場に戻って働きだしたのは、確か昭和52年かな。工場が火事になっても保険が降りなかったり、製品に不良品が出たりと、ちょうど1度目の不渡りを出した年。2回目の不渡りを出したらアウトという状況で皆が立て直しに奔走している中、学生上がりの私は何もしきらんわけですよ。だから最初は脱脂綿の純度試験や工場のチェック。とにかく自分のできる範囲で仕事を覚えました。
その時は私が将来継ぐなんて決まっていなくて、兄貴が2代目を継いで、私は品質管理とか、機械を導入したり、改造したりと現場に携わるものだと思っていたんです」入社してから40年以上、工場で働くとともに、工学部出身の経歴を生かして機械の改良やシステムの構築も手がけた。梯さんは誰よりも工場内を動き回り、全ての機械をマスター。いつしか工場内で無くてはならない存在となった。

綿を糸にしてガーゼを縫い上げる機械。昭和のものから最新機種まで、梯さんは実際に自分で使いながら覚えてきた。一時期は10台を一人で管理していたことも

綿についた油分などの不純物をさらに取り除く「精練」行程。通常の脱脂綿用の釜の約2 倍もの大きさの精錬釜を使い、約2日間かけて精練、染色を施す。ここまでして医療用にも使える脱脂綿に仕上げている

通常の作業工程を少しでも効率よく
現場での創意工夫を繰り返す日々

口コミで人気に火がついた「パシーマ」が生産の9割を占めるようになった頃には、ガーゼや脱脂綿作り、縫製、検品まで自社で全て手がける現在のシステムに移行しつつあった。新しく導入した織り機を最初にマスターするのは梯さん。「自分で機械を販売している会社に通って使い方を教えてもらって、戻ってからどんどん織ったんですよ。それで縫製の機械10台は、全部自分で管理していました。ほら、事務所の天井あたりにランプが付いているでしょう?工場で動いている機械は赤いランプが付くようプログラムして、一人でも管理できるように私が改造しちゃったんですよ」ことも無げに話す梯さんだが、工場内を見渡せば作業効率を高める仕掛けが随所に採用されている。特に、製品に貼られている品質管理バーコードは梯さんの思いが詰まったシステムなのだ。

商品管理のために導入されたバーコードのシールには誰の作業によるものかが記録されている。シールを印刷すると同時に、事務所にもデータが送付され、中央で管理できる仕組み

柄物のパシーマは機械で裁断するとずれてしまう可能性があるため、スタッフが一枚一枚手切りで対応する。丁寧な作業も愛される秘訣だ

社長にとって、実は一番難しい!?
手を出さないという指導

「製品についている数字は、いつどこで誰が縫製や検品をしたのかが記録されています。これはトレーサビリティの目的もあるけど、スタッフのためでもあるんです。責任をしっかりと明記する事で、「私が作ったものにはミスが無い」と胸を張ってもらいたいから。
他にも、うちに入った人には「一人3役できるようになってくれと言っています。最初に覚えるのは大変だけれども、手が足りない行程に誰かが助けに入る事ができる。休む人が出ても回すことができるから、皆が自分の都合で休みを取りやすくなるんです」
そんな梯さんが今心がけているのは、ズバリ“手を出さない”事。
「現場の仕事は把握しているので、最初は自分が直接現場に指示を出していたのですが、後から工場長の指示と違ったために混乱してしまって。今では工場長から支持してもらうようにしています。現場の仕事も私が指示を出さずに、自分で考えて問題を解決できるようになれば本人の自信にもなりますからね。私はなるべく現場にいないようにして、商品開発や営業を担当しています」職人として第一線で働いてきた梯さんならではの気遣いだ。

「パシーマ」で作ったベビーウェアのチャックには、子どもの肌を傷つけないようカバーをかける。これもスタッフの手作業

うきは市の未来を担う子どもたちへ
自慢のパシーマをプレゼント

現在は商品開発に力を注ぐ梯さん。「こんなのがあればと言う相談をいただいたら、とにかく一度作ってみます。でも、もらった相談をそのまま作ると意外に反応が悪いんですよ。驚きが無いから。だから自分なりのアイデアを盛り込んだものを作って、催事などでテスト販売したり、モニターさんに使ってもらったりして反応を見るんです」HPを見ると、パジャマやベビー服、靴下などまで、実に多彩なラインナップが残されていて、梯さんのチャレンジ精神を物語っている。さらに、実ははこんな作戦も決行中だ。「うきは市の新生児にパシーマのバスタオルを無料で配っているんです。3年前、工場の50周年記念にと始めた事業なので、うきは市にいる3歳以下の子はパシーマ経験者なんですよ」このサービスは好評で、多くの感謝の声も寄せられているそう。いつの日か、うきはのすべての子どもたちがパシーマに触れてくれるまで、梯さんの挑戦は続く。

新作のジャパシマカラーズは日本由来の淡いカラーリングが魅力。自社工場で糸から染めて生地にできるため、体に害のない染織にもこだわっている

【お店からのお知らせ】

<店舗情報>

店名:龍宮株式会社(リュウグウカブシキカイシャ)

WEB:http://pasima.com
FB:https://www.facebook.com/pasima.fan/

住所:うきは市吉井町新治278
TEL:0943-75-3148
営業時間:9:00〜17:00
定休日:土・日曜、祝日

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