うきは唯一の酒蔵で受け継がれる家族の物語
父と息子が語り合う酒蔵の未來について
Case.15
家庭の中で一番会話が少ないのは、父親と息子かもしれない。一人の男として、父の背中を息子が超えねばならない。そんな意識があるからだろうか。
うきは市に唯一残る酒蔵「いそのさわ」を受け継ぐ親子の間にも、お互いに対する愛情と尊敬、そして少しだけヒリヒリとした感情が入り混じって流れているようだ。息子はいつかはと思っているが、父親はそうやすやすと超えさせるわけにはいかない。
「跡を継ぐって言うのは、父親から仕事を奪って、お客さんを味方につける。そのエネルギーがあるかどうかですもんね。こんな話をするのは今日が初めてですけどね」いそのさわ四代目・髙木泰三朗さんからの宣戦布告とも取れる一言に、息子である五代目 亮三朗さんの横顔はキリリと引き締まる。
父と息子の関係はなんてめんどうくさくて、かっこいいのだろう。
1893年の創業以来、耳納連山の豊かな伏流水を活かした酒造りを続けてきた「いそのさわ」。髙木亮三朗さんが金融業から転職し、現社長である四代目・泰三朗さんのもとで働くようになってから10ヶ月になる。酒造業について勉強しながら、商品の企画開発、広報、地元企業との交流をこなす多忙な日々を送っている。実際に継ぐのはもう少し先の話になりそうだが、歴史ある酒蔵の長男として、どんな思いを抱いていたのだろうか。
「五代目を継ぐ事については子どもの時からなんとなくは考えていましたが、この世界に入る前に一度社会に出てみようと思って就職しました。金融業界を選んだのは、いろんな社長さんの話を聞けるのはプラスになるし、数字にも強くなれるから。3年半勤めて、いそのさわに戻ってきたんです。父は特に跡を継げと言っていた訳ではなく、むしろ『継ぐな』と言ってましたね」
泰三朗さんによると「それは『継がなくてもいいぞ』という意味なんです。私が跡を継いだ時に比べて、酒造業界は活況という訳でも無い。『俺もそうしたんだからお前も継げ』と押し付けて、私のコピーみたいな人生は送らせたくないなという思いがありました。継ぐなら、私から教わるよりも、自分で考えて悩んで身に付けていくしかないと思っていますので」
それから、少し間を置いて四代目を継いだ時の話を聞かせてくれた。「うちの父親(三代目)なんて、私の100倍は頑固でしたから。この父の跡を継いだ以上は直接教えてもらうことはありえない、父親から仕事を全部奪うと思っていましたから。親父に招待がきた仕事関係の飲みごとなんかも私が行ってましたね。父親がどんな立場にいてどう言う仕事をしているのかって体で覚えないとしょうがない。話し合って跡を継ぐものではなくて、やっぱり奪っていくものでしょうから。こんな話をするのは初めて(笑)あまり手の内をバラさない方がいいのかもしれないし、息子にすると親父が偉そうに何を言っているんだと思っているかもしれない。まあ、20年か30年したら分かるかな」
初めて聞いた父親の想いを噛みしめるように、亮三朗さんが続ける。
「その通りなんだろうなと思います。自分はまだ日本酒業界に入ったばかりで跡を継ぐというよりも目の前にある仕事でいっぱいいっぱい。」
そうは言いながらも、亮三朗さんは今はあるプロジェクトを手がけている。
「ここ最近で扱うお酒のバリエーションがどんどん増えたので、コアなお客様をつかまえるためにもう一度見直そうという話が持ち上がりました。そこで、まずは30年近く販売している最上位のブランド『駿』の再構築に取り組んでいます」
その後を泰三朗さんが続ける。
「今のご時世では低アルコールでマイルドソフトなものが売れ筋ではありますけど、私どもは日本酒ファンを意識して、なるべく和水をせず原酒に近いもの、いわゆる日本酒らしさを主張していこうと考えています。そういうとこ、ちゃんと言ってよ。彼(亮三朗さん)はラベルも手がけているんですよ」
四代目からのツッコミにも涼しい顔の亮三朗さんが「駿」のボトルを見せてくれた。
「今作っている分は販売前のものですけど。一番いいお酒なので高級感というか、どんな時代でもかっこいいと思ってもらえるラベルにしたかったんです」
なるほど、シンプルだけれども力強く動きのある「駿」の文字は、キリッとした飲み口を見事に表現している。キュッと冷やして飲んでもらうため、ラベルには水滴ではがれない特殊な紙を採用した。海外への販売も意識して、こだわりは英文でさりげなく、その中には「うきは」という地名もしっかりと入っている。長年このブランドを見続けてきた泰三朗さんも太鼓判だ。
現在、「駿」は純米と純米吟醸、純米大吟醸の3種類の他、日本酒コンペティション出品用に特別純米酒も開発している。こちらの音頭をとるのは、亮三朗さんだ。
「500社が出品して上位20社が大々的に発表される日本酒のコンペティションがあるのですが、そこで『駿』が入賞して名前が売れれば、もっと多くの人が飲んでくれるのではないかと思って。今は自分と同世代の作り手と組んで味の開発中です」
そんな若い世代の動きを社長の泰三朗さんはどう見ているのだろう。
「お客様に飲んでもらうには商品が評価される必要があると思う。なので出品は賛成ですし、開発も基本まかせています。私も長年やってきましたが、どんなお酒にしたいのか作り手に言葉で伝え、思いを一致させる事が重要なんです。これは私が横からいろいろ言っても分からない事で、彼が作り手とぶつかって主張しないと身に付かない。その後のコンペティションでの結果が思ったような成果につながらなかったら、今後の展開がまた面白いことになるんじゃないかな」
試しているのか、アドバイスなのか、泰三朗さんの言葉に亮三朗さんも思い当たる節がありそうだ。
「多分、僕が言っていることって作り手の方からしたら、突拍子もない内容が多いんです。その時は正直に指摘してもらっていますが、僕もそこで怯んではダメなので、何かのヒントになればいいなと思いながらボールを投げまくっています」
こういったやりとりは、最近の仕事ぶりにも活かされているという。
「この頃は社長(泰三朗さん)に対しても、都度相談するのをやめて、ある程度固まるまで進めて最終的に判断してもらっています。いちいち社長の意見を取り入れながら話を進めていたら、僕が最初考えていた方向性からずれてしまう。社長に報告して改良点が見つかれば修正すればいいだけですから」
泰三朗さんも満足そうに
「親父から仕事を奪うっていうのはそういうことですよ。全部自分で段取りを作って、こういう状況だからこんな風に動かせてくれと。仕事って段取りで、そこを固めたら勝ちですから」
成長しているのは息子の亮三朗さんだけではない。泰三朗さん自身の考えにも変化が起きたという。
「彼が入ってきてから改めて気付いたのですが、うきはにはフルーツや野菜などの豊かな農産物がある。この魅力を地域の人と一緒に伝えていければ他の酒蔵との大きな差別化につながる。地域の方とコミュニケーションを取りながら、“モノ”というよりも“物語”を作り上げたいと思っています」
もちろん、亮三朗さんも同じ思いだ。
「ここで働くまではうきは市から離れて暮らしていたんです。だからこそ、田園風景や農産物の素晴らしさに気付けたのだと思います。うきははお米もフルーツもたくさん取れますから、まずは日本酒ベースのフルーツリキュールの開発を進めています。ゆくゆくはお米もフルーツも水も全てうきは産のお酒を売り出して、今まで日本酒に馴染みがなかった人にも幅広く飲んでもらいたいですね」
父の背中に届くまで、課題はまだまだ山積みだ。けれども、そんな毎日にやりがいを感じると亮三朗さんは言う。
「銀行はマニュアルありましたけど、ここではそんなものは無いですからね。こんなことやったら面白いだろうとかずっと考えているのが楽しくて、性に合っているのかな。でも、今までと同じ仕事をしていても弊社は良くならないので、伝統を守りながら時代に合わせるやり方を模索していかなければと思っています」
亮三朗さんがちょっと席を外した時、泰三朗さんがこっそりと働きぶりについて教えてくれた。
「まあ、彼にとってまだ大きな成果は出ていないから、心配する段階でもないかな。むしろ、失敗したという結果が出ていないからこそ、いい意味でつまづいてもらいたい。そうしないと上に行けないだろうから」
…今のところ、父の方が2枚も3枚も上手のようだ。
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