渋滞のできるパン屋さん
過去と現在の先に”夢”を見つけて
Case.16
江戸時代から昭和初期にかけて、豊後街道の宿場町として栄えたうきは市吉井町。伝統的な”白壁”の街並みを歩いていると、ひときわ賑わいを見せるのが「ぱんのもっか」。
”定員15名”と書かれた立て札が店先にあるほどの人気店で、久留米や福岡市内、県外など遠方のお客さんも訪れる。
店内に入ると、クリームパンやチョココロネなど”昔ながらのパン屋さん”と、フランスパンや創作パンなど”スタイリッシュなブーランジェリー(フランスのパン屋)”を連想させるパンの数々。また、店舗の裏には川が流れており、パンとコーヒーを手にテラススペースでゆっくりとくつろぐこともできる。
「うきはって、数を作れば良いってノリじゃないので…。せっかく遠方から来てくれるなら、より美味しいものを食べてもらいたいですよね」。
最高のパンを追い求める”職人”の覚悟がうかがえる。
吉岡さんがパン作りについて学んだのは大手飲食店を展開する企業で働きだしてからだった。
ただ、会社員時代は閉店間際まで商品を陳列することを求められ、毎日4袋ほどのパンを廃棄していた。そんな環境に疑問をいだいていた中、新人のアルバイトが廃棄されるパンを見て、泣きながら辞めていったのをきっかけに独立を決意。
「いろいろやる中で、パンが一番難しいと感じたんです。焼きあがったときに結果がでるし、綺麗に美味しくできたら気持ちが揺さぶられるんです」。
まさに根っからの職人気質だ。
パン作りの工程は”粉”と”酵母”、素材選びから始まる。ぱんのもっかでは主に地元「鳥越製粉」の粉を、うきはで採れた季節のフルーツを使っている。粉を配合し発酵、成型して焼き上げ。単純作業に思える工程も、温度や湿度など微妙な変化によって出来上がりに大きな違いがでる。
どこまでも突き詰めているからこそ、吉岡さんのパンに魅了される人があとを絶たないのだろう。
吉岡さんは”高知県出身”、奥さまは”北九州出身”と、うきは市との直接的なつながりはない。
店舗探しも、初めは高知県や北九州で考えていたのだとか。ただ、高知県や北九州、都会のせかせかした雰囲気が合わず、思うような場所が見つからなかった。そんな時、奥さまの遠縁がうきはで昔ながらのパン屋さんを経営していたこともあり、店名を残すことを条件にそのお店を引き継ぐことに。
「最初、この場所(うきは市)で大丈夫かな…と思って。移住当時はお店も少なくて。でも、住んでみたら住民同士の距離が近いってのは感じました。気軽に相談できる相手が周りにいるのは助かりましたね」。
ひとたび外食にでると知り合いに会える、良いことも悪いことも話し合える場所。
人情の詰まっている”うきは”だからこそ人を、まちを好きになり、相手のためにより美味しいものをと努力し続けられる。
うきはに移住して3年目、新しい店舗探しを開始した。現在の店舗が建っているのは奥さまの友人(の家族)が所有していた土地だった。
「すでにオーナーさんが用途を決めてたんです。でも、僕の熱意を一生懸命に伝えたら理解しいていただけて。オーナーさんが若い方を応援してくれる方だったので」。
アグレッシブな吉岡さんならではのストーリーだが、初めての店舗を見つけた経緯、現在の店舗を見つけた経緯を考えるとうきはとの”縁”を感じる。
実は、「もっか」という店名にもうきはとの不思議なつながりがある。店名は娘さんの名前「花梨(かりん)」から取ったもので、花梨を中国読みにすると「もっか」になるという。さらに、合併前の旧吉井町のシンボルツリーも「花梨」であった。
人との縁、土地との縁、名前との縁、ともはや”運命的”な何かに導かれたかのようにさえ思えてくる。
人気のパン屋として日々を慌ただしく過ごす吉岡さんには次なる目標がある。
「パン窯を利用してオーブン料理のお店がしたいんですよ。ル・クルーゼ(鍋)でポトフとかシチューとか、アヒージョとかを提供して。焼きたてのパンをカットして食べ放題にする。楽しそうでしょ?」。
本格的なパン屋さんが料理とパンを一緒に提供するスタイルは、全国を見渡してもほとんど例がない。また、ぱんのもっかでは” 朝ごぱん会”や” 夜ごぱん会”なる催しも開催したのだそう。うきはにある農園や食事処などとコラボし、和食や日本酒等とパンを合わせた”新しい食べ方の提案”。
絶対にこうするべき、という固定観念がないからこそ生まれた発想だ。
今後、吉岡さんのフレッシュな発想、アグレッシブさがうきはをさらに楽しいまちにしてくれることだろう。
ぱんのもっか
住所:福岡県うきは市吉井町1127‐5
TEL:0943-75-3303
営業時間:9時〜18時 (パンがなくなり次第終了)
定休日:月曜日、木曜日
※駐車場あり