「自分が選んだ道を貫く人生を」
めぐり辿り着いたうきはの里山「小塩」で
口福の1枚を焼き続けるPizza職人

Case.34

藤吉智文さん&沙也佳さん
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Pizzaロダン
文:平田あやこ(INSIGHT PROMOTION)
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写真:Tatsuya Kawaguchi(QLOKO DE SIGN)

自然を愛し、その地を愛し、人を愛しむ生き方とは
「ロダン」誕生の第1章が幕を開ける

裸電球がやさしく灯る店内に、BGMはかかっていない。
静かな里山で過ごす時間がこれほどまで心地よく、プリミティブな感情を呼び覚ましてくれるとは。

ここはうきは市浮羽町の小さな集落「小塩(こじお)」にある「Pizzaロダン」。
天気のいい日は小鳥のさえずりをBGMに、寒い冬は薪ストーブのやさしい温もりに包まれて、琴線にふれるひとときを過ごせる里山の店。

「今の時代、情報が多すぎて、イヤでも入ってくるじゃないですか。だからボ~ッと自分に向き合える時間、ゆっくり考える場所を提供したいと、ブロンズ像の“考える人”で知られている『ロダン』を店名にしたんですよ」

そう話す、店主・藤吉智文さんの表情はじつに穏やかだ。

福岡県春日市出身の彼が、Pizza職人としてうきはの地に根をおろすまでの軌跡。
世界を旅し、さまざまな生き方に触れてきた彼の、ワイルドな生き方を紐解いてみたい。

料理人を志すきっかけになったPizza作り
2度にわたるイタリアの旅で本質を探る

京都にある大学に入学し、哲学を専攻したものの、授業がツラくて仕方がなかった智文さん。
「自分はなんて浅はかな選択をしたんだろう」と後悔する日々。

そんな大学生活を送る中、イタリアンやフレンチのシェフが率いる洋食レストランでのアルバイトが唯一の楽しみ。しかしアルバイトといえど、料理の世界は厳しく、入れ替わりの激しい世界。

「大好きなこの店で働き続けるためにはどうすればいいだろか。自分に武器がないと居場所がなくなってしまう……」

そう感じた智文さんは、当時、店のメニューになかったPizzaをシェフに提案。
数々のピッツェリアを巡り試行錯誤をしながら、捏ねては焼き、捏ねては焼きを繰り返し、ようやくシェフのゴーサインを経てメニュー化が実現したそうだ。

「自分が作ったPizzaを『美味しい!』と喜んでくださるお客さんが日ごとに増えていくのが嬉しくて」

彼の中で目標が決まった。

「将来は料理人になる」

ワインの知識を深め料理に役立てようと、大学卒業後、東京のワイン商社に就職。

「果たして自分は料理人として生きたいのか、それともサラリーマンとして生きたいのか。そう考えると人生は1度きりですから、料理というやりたい道に進むため、3年というリミットを設定して働きました」

覚悟をもって3年後に退職した智文さんは、Pizza職人になる目標を起点に、何歳までにこれをやる、そのためには何が自分に足りないのか、何をするべきなのかと、緻密な計画を立て、逆算思考でアグレッシブに行動を起こした。

これから向き合う“Pizza”の本質を知るため、まずは「イタリア」へ。
お世話になったシェフが紹介してくれたピッツェリアで働かせてもらいながら、約1年間技術を習得し、語学学校にも通った。

「やるしかない」

サラリーマンとして後ろ盾がなくなった彼の本気さが伝わってくる。

帰国後は、もう一度イタリアに行くためのお金を貯めるため、レストランで2~3年働き、29歳で再び旅立った。

「その土地の文化を知りたかったし、人々がどういう生き方をしているのか実際に見てみたかったんです。プロの料理人として、食材がどうやってできているかを知るための旅でもありました」

本質を突き詰める哲学を学んだ智文さんらしさが、この言葉から滲み出ている。

春は北イタリア、夏は南イタリア、そして冬はアルプスの麓などを転々とし、チーズやワイン、サラミ、農作物、バルサミコ酢などの生産者の家で、住み込みとして働かせてもらう日々を送ったそうだ。

言葉の壁はなかったのだろうか。

「国が違っても、言葉が思うように通じなくても、誠意を持って一生懸命に働けば伝わるんですよ、人間ですからね。ある時、『うちで飼っているヤギを屠殺してそれで料理を作っていいよ』と言われたことがあったんです。生きていくために育てた大切な命を私に委ねてくださって、本当にありがたかったです。その人たちにやっと近づけたなって」

食材や文化に触れる約1年に及んだ旅は、国境なき心の温もりに触れる旅、食の本質を知る旅であったことは間違いない。そして旅で体験したこと、感じたことが、今後の「Pizzaロダン」としての店のあり方、生き方の指針となるのだった。

ようやく巡り会えた!
里山の人々が繋いでくれた奇跡

2度目の帰国後は、食育やアレルギー、衛生管理も学んでみたいと、保育園の調理室で働いたそうだ。そして、東京のイタリアンレストランで最終仕上げを行うと、なんとお次は半年かけて北海道から九州を南下し、日本の生産者さんを訪ねる旅に出た。

「やるからには本気で」

当初の想いは決してブレない。

その後いよいよ「開業」の目標を実現させるため、物件探しのステージへと突入。福岡の里山にある、地域に根付いた建物を探していく中でうきは市に辿り着いた。

「食材面を考えると、うきははクオリティーが高くて種類が豊富。何より出会った生産者さんの食材に込める想いや、この土地のストーリーに魅力を感じたんです。ここなら、自分がこれまで経験してきたことを活かせるぞ!って」

しかし、条件に合う物件が見つからない日々が続いたという。
そんな中、浮羽町新川で竹職人をしている友達のところへふらりと寄った時のこと。そこで出会った米農家さんが、不動産業者でも知らなかった7軒もの空家物件に連れて行ってくれたそう。

「地域のネットワークは凄いと感じました。今でもこちらの米農家さんや竹職人さん、近隣の方にはよくしていただいています」と笑顔を見せる。

ある一軒を見た瞬間、店の未来予想図が見えたんだとか。

「ここだ!ここにしよう!」

かつてそこは保育園から柔道場、公民館として役割を変えながら、地域に寄り添ってきた築80有余年の建物。来年には壊される予定だった。

智文さんは約200枚もの足場板を調達し、自ら色を塗り、敷き詰め、DIYを楽しみながら完成にこぎつけたそうだが、背景にあるのは地域の方々の優しく心温まる加勢のおかげだと話す。こうして当時の設えをそのまま活かして改装された建物は、ついに2022年4月「Pizzaロダン」として、再び命が吹き込まれることになる。

保育園だった頃の靴箱がそのままにインテリアに

作物を育てることで気づいた「食」の大切さ
里山暮らしで見い出せた、豊かな感情を抱ける幸せの時間

Pizzaに使う食材は、奥様の沙也佳さんと一緒に自家菜園で育てた作物や地のもの、自ら作り上げたものが使われている。インゲン、白菜、カブ、人参、黒豆、深ネギ、ジャガイモ、生姜、夏になればハーブ類、トマト、オクラなど、季節が巡るごとに楽しみがある。

自家菜園で育てた野菜は店用に、また家庭用としても自産自消されている

種から育てた野菜は愛おしさが一層増すという

「早朝から畑の作物を狙うカラスを追い払ったり、猛暑の中での水やりなど、たいへんなことも楽しいですよ、だって好きなことをしているんですから」と智文さん。
「たいへんだけど、心はとっても健やかだよね。心も体も元気になれる!ここでの暮らしが理想の暮らし」と楽しそうに言葉を繋ぐ沙也佳さん。

「ロダンに来られたお客さんに『マルゲリータが食べたいんですけどないんですか?』と言われることがあるんです。でも食材のバジルって夏しか育たないから、収穫時期でなければご提供できないんですよ。私たちが育てた作物が、Pizzaや飲み物に使われていることをお伝えすることで、気づきと学びを深めてくださり、感動してくださる方が増えてきているようで嬉しいです。それがこの場所でやっている理由のひとつですね」

長野県の山小屋で働いた経験を持ち、以前、保育士だった沙也佳さん。うきはの自然と人によって智文さんに引き寄せられ、今では信頼し合える夫婦として共に人生を歩む

1日1日を大切に、里山で一生懸命に生きる姿。
藤吉さんご夫婦から学ぶことが数多くある。

のどかな光景につい「なにもないね」と言ってしまいがちだが、何もないどころか、ここには自然があり、豊穣な大地と食材があり、心の豊かさがある。むしろ豊富だ。

地域の方に教わりながら始めた養蜂(ニホンミツバチ)で採取したハチミツや、菌打ちの手伝いをして譲り受けたクヌギの木で栽培した椎茸など、地域との交流、助け合いによって育まれた食材もロダンには欠かせない。

小さなニホンミツバチも、藤吉ファミリーの大切な一員

Pizzaの生地には福岡県産小麦粉(みなみのさち)を使い、酵母は状況に応じて培養酵母を使う場合もあるが、基本この土地に由来し、この土地に息づく酵母菌(空気中にもともと存在する菌)を活用した自家製「野生酵母」を使用しているそう。

うきはの地下水を加えて手捏ねされた生地が、優しい手つきと小気味よいリズムで伸ばされていく様子に心が踊る。

パーラーに乗せられ、智文さん手作りの窯へと滑り込むPizza。

ふっくら&パリッと軽快な食感を楽しめるよう、熾火との距離を調整しながら絶妙な加減で焼かれていく。
イタリアでの修業を彷彿とさせる光景だ。

「食材をリスペクトしているから1枚のPizzaにのせる具材は3種類まで。シンプルに美味しさを味わっていただきたいので」

味を重ね過ぎない、奇をてらわない、これが智文さんの流儀。
素材の力が宿るこの1枚を、この場所で味わいたいと、足を運ぶお客さんが多いのも頷ける。

カリッともっちり、香ばしさが次のひと口を誘う

イタリアで学んだ製法で1年半~2年熟成させて作った自家製生ハムと「小塩」で平飼いされているたまごのコンビネーション

ゴルゴンゾーラに自家養蜂で採取した貴重なハチミツがまわし掛けられたPizzaは人気の一品【写真左】

日本のソムリエに加え、イタリア政府公認のソムリエ資格を有する智文さんは、ゆくゆくはこの地でぶどうを育て、ワインを作ってみたいそう

Pizzaを通じて自分たちができること
辿り着いたうきは・小塩への恩返しとは

現在、集落は過疎化が進み、もはや60代が若手と呼ばれているそうだ。

「今後ますます高齢化が進むことで米農家さんが減少していけば、小塩の美味しいお米が食べられない日が来るんじゃないかと……。10年先20年先を見据え、自分たちが今できることに取り組んでいかなければと危機感を持っています。環境に恵まれ、人に恵まれ、近隣の人たちに助けられてばかりですが、1枚でも多くPizzaを焼き、1年でも長くこの店を続けて地域に恩返しをしていきたいです。そしてどんな場所でも地方の可能性を見い出していけること、挑戦できることを若い世代に伝えていきたい」

智文さんが1人で見ていた「ロダン」のある景色は、いつしかエマ(愛犬)や、奥さんの沙也佳さん、そして息子さんと見る景色に変わリ、彼の真っ白な心のキャンバスは、日に日に彩りが増している。

2025年4月に4年目を迎える「Pizzaロダン」。

これからも、うきはの里山「小塩」を通じて出会う人々によって育まれ、さらに色味が深まっていくことだろう。
20年後にまた、じっくり話を聞いてみたくなった。

Pizza ロダン

福岡県うきは市浮羽町小塩2533-1
TEL:070-8453-6474
営業時間:11:00~15:00ラストオーダー(16:00まで)※予約制
定休日:水曜・木曜+不定(2025年4月より日曜・月曜に変更)

インスタグラム:https://www.instagram.com/pizza_rodan/