仕事をしながら農業を志す“半農半X”で夢を叶える
憧れの里山と共に生きる古民家ファーマー
Case.26
春まだ浅い持木地区の山奥にある段々畑。短い雑草が覆う地面から、にょきっと一本木が顔を出している。この木は南高梅の苗で、春先に定植したばかり。花や実はもちろん、まだ葉や枝すらない。今までうきはで見てきた果樹園とは若干異なる景色だが、足元の土はふかふかとしているし、そこかしこで小さな花が元気いっぱいに咲いている。この土の中は生命力にあふれた自然の野山そのものなのだ。
ふもとに比べて5度ほど体感温度が低い中、今日も2人の青年は目を輝かせながら苗の成長を見守っている。
うきは市で肥料の力を借りずに作物を育てる「有機栽培」を目指す小屋松翔太さんと小屋松さんに誘われてやってきた田中剛さんだ。
二人の農業ライフの第一歩が、この南高梅の畑。実際に実をつけるのは3年後とか。梅の無農薬栽培はかなり難しく、3年後に実ができてもどんな味になるのか想像もつかない。農業関係者にもやめておけと言われるほど難易度は高いが、小屋松さんはやると決めたらこの苗のようにまっすぐ目標に向かう性格だ。
それに、これは無謀な挑戦ではない。農家とは違う、もう一つの顔を持っているから、全力で夢を追いかけることができるのだ。
元来、食べることが大好きという小屋松さんには、長く思い描いたビジョンがあった。それは、安全で安心な食べ物を自らの手で作るという夢だ。そこから有機栽培にたどり着いた。
小屋松さんの実家は久留米市で野菜の観光農園を手がけている。跡を継ぐのが一番早いのではという問いに、小屋松さんはきっぱりと答えてくれた。
「自分でイチからやりたいんですよ。それで新たに有機栽培をするなら、農薬飛散の影響が少ない山あいの“中山間地域”がいいなと思っていたんです」
作物を育てる土壌には植え付け前の2年以上化学肥料を用いないこと、環境への負荷をできる限り低減させることなど、有機栽培には高いハードルがいくつも設けられている。自分の畑で農薬を使っていなくても、周辺から農薬が流入する可能性もある。そう考えると候補地としてまっさきに浮かんだのは、日頃からドライブを楽しんでいたうきは市だ。
「昔から山や川が好きで、特に棚田の間の細いあぜ道にグッとくるんです。何をするでもなく車でゆっくり里山を走りながら、風景を楽しんでストレス解消してたんですよね。空気もきれいだし、こんなところに住んで働けたらいいなって漠然と感じていました」
うきは市の「姫治地域協議会」による移住促進プロジェクト「半農半X」を知ったのは、ちょうど将来のライフプランを考えていた時。新しい人生を踏み出すための力強い後押しになったという。
「半農半X」とは、うきは市の中山間地域で農業を営みながら他の仕事にも携わり、生活に必要な所得を獲得するという働き方で、いわば兼業農家だ。
うきは市は、初心者向けのお試し農業体験から技術研修、さらには独立後の住居(古民家)、畑の紹介まで地元の職員や農業従事者がサポートしてくれる。小屋松さんはこのプロジェクトこそ条件にぴったり合致すると、一も二もなく飛び込んだ。
「正直、移住を決めた時は何を栽培するか、どんな仕事をするかという具体的な考えはありませんでした。とりあえず、住んでから考えようと(笑)実際に移って半年ですが、欠点が見つからないくらい住みやすい場所ですね。車で10分行けば中心地に行けるし、空気もきれいで水道代もかからないでしょう」
半農半Xの参加者だと、協議会が用意したお試しハウスに空きがあれば、約1年間お試し暮らしすることができる。小屋松さんの場合は、最初から移住を決めていたので、来ると同時に協議会の担当に話をつけて住まいと畑を探していたとか。その前のめりな姿勢が協議会をはじめ、近隣住民や市役所職員など周囲の人々を動かしているのも事実だ。
「ちょっとずつでもいいから顔を覚えてもらおうと、地域の行事には積極的に参加しているんです。いま住んでいる地区は、自分以外で一番若い方が50代なので、とてもかわいがってもらってますね。プライベートでも市街地のお店などを巡って、うきはを探索しています。まだ移住して半年なので、これからいろんな人と知り合っていければいいですね」
それでは、小屋松さんの「半農半X」の歩みを追ってみよう。まずは姫治地域からひとつ山を挟んだ持木地区に畑を借りて、土づくりからスタートしたそう。果樹木の栽培が盛んな田主丸で苗木販売を営む友人を訪ねて、梅とレモンを購入。その友人が小屋松さんの取り組みに心を打たれ、そのまま栽培指導してくれることになったという。
皮を利用するレモンや丸ごと食べる梅は、有機栽培のニーズが高い。特に寒さに強い梅は夜の冷えが厳しい山間部の気候にマッチしているため、絶対に挑戦したいと心に決めていた。
「梅は農薬必須という意見は多いですが、有機栽培で栽培されている例もありますし、大変だけどやりがいはあると思います」
「この畑はね、5年以上何も作っていない無耕作地を探して紹介してもらったんです。肥料が入っていないから、土自体に栄養が行き渡っているでしょう。肥料を加えると、その力に頼ってしまうので土地がやせてしまうんですよ。だから、これからも牛糞などが使わずに、なるべく自然に近い状況で育てるつもりです」
牛糞の代わりに、有機栽培の米ぬかと木のチップを混ぜて発酵させた肥料を使う。実は、この肥料には地元の人との心温まる思い出がある。
「庭に生えていた木が茂りすぎて、剪定した枝を焼いて処分しようとしていたんですよ。そうしたら、近所に住んでいた樋口さんが声をかけてくれたんです。“それをチップにしてやるけん、肥料に使い”って。木を細かく刻んでチップにして、米ぬかと混ぜ合わせる肥料の作り方まで教えてくれて。樋口さんも、僕らがどんな作物を育てるのか、ずっと気にかけてくれていたんですって。他の住人の皆さんも知識がものすごく豊富なので、みんなが教えてくれるイメージです。向こうから話しかけてもらえるとやっぱり嬉しいですよね。いただいた教えを次につながないと、とはよく思います」
周囲の協力もあり、スムーズなすべり出しを見せる農業に対して、小屋松さんの“半X”はどうなっているのだろうか?
こちらは、農業が軌道にのってオフシーズンに入る年末にスタートするため準備を進めている。
「B級品や市場に出せないフルーツを急速冷凍した商品を扱おうと考えています。古くから付き合いのある友人も含めて、僕の周囲には農業従事者がとても多いんですね。みんなの手元により多くの利益を還元できればと思いますし、一番はフードロスの解決になるでしょう。社会的な問題解決のために自分でも何かやってみたいと思ったんです」
最初は、うきは市以外の周辺地域のイチゴをメインに、飲食店が多い久留米市や福岡県内の企業を卸先にしたいと考えている。もちろん、通常の冷凍庫ではなく、みずみずしさを残す特殊な冷凍庫を購入するつもりだ。その後は、冷凍フルーツを加工した商品開発も行う。いつでも農業のそばに身を置いてきた小屋松さんらしいビジネスだ。
農業でも、ビジネスでも、どちらかの収入がない時も補い合って暮らしていけるのが半農半Xの最大のメリットではないだろうか。だからこそ、それぞれの分野に果敢に挑戦することができる。けれども、もし片方にかかりきりになって、もう一方まで手が回らなくなってしまったら?成長が止まってしまうことにならないだろうか。
小屋松さんに聞いてみると…
「これはあくまでも僕の場合ですが、半農半Xで移住してきた人同士でフォローしあえるようなコミュニティを作りたいと思っているんです。Xの部分は、僕の会社で働いてもらえば、どちらかは農業ができますよね。自分の仕事がある人でも、農業なら協力できます。そんな体制ができれば、初めて農業に挑戦する人も、すでに自分の仕事を持っている人も参入しやすいですよね。農業の需要自体は年々高まっていますし、特にこちらみたいな中山間地域の畑は重要視されている気がするんです。だから、どんどん新しい住民に来てほしいんです」
有言“即”実行な小屋松さんは、実際に福岡市や久留米市に住む友人に声をかけ、休日にはうきは市の古民家や山林、里山の景色を紹介している。
「普段は都心に住んでいる友人を森林セラピーロードや棚田へ連れて行くんです。そこで、デジタルデトックスというか、時間を忘れてゆっくりしてもらっているんですね。ほとんどの人がリラックスできたと言ってくれます。ただし、住んでみたいという人は、完全なる移住というよりも、今いる都心部とこちらの二拠点生活を希望している声が多いですね。それも仕事の内容にもよりますが、実現はできると思います」
都心で自分のキャリアを活かして仕事を続けながら、時には清々しい山の空気の中でじっくりと畑に向き合う。子育て中ならば、広大な遊び場とさまざまな知識を教えてくれる“じいちゃんばあちゃん”があちこちにいてくれる。
山と街のどちらの魅力も一度に味わえるとは、「半農半X」とは一番贅沢な暮らし方かもしれない。
「実際にこちらに住んでみると、不便だと思っていたことも全く気にならないんです。周りの人がものすごく協力してくれるから。皆さんへの恩返しのつもりで、地道に人を呼び込んで自分も移住者と地域の橋渡し役になれればと思っています」
そうして小屋松さんが呼び寄せた移住者第一号が田中さんだ。農業未経験でやってきた田中さんは、小屋松さんや地域の人々から多くの知識を吸収しながら、畑に向き合っている。
「今まではサラリーマンだったので、今はやることなすこと全て楽しくてしょうがないです。大変さは感じてないですね」
小屋松さんの活動は、南高梅よりも先に大きな実を結んだようだ。
小屋松さんが半農半Xでうきはに移住してから、約半年。農業に起業にと慌ただしい日々の中で移住促進の一助になりたいという思いも大きくなってきたという。そこで、田篭地区の「民宿 馬場」が、農業を志す移住者の住まい「えーのう馬場」へとリニューアルしたのを機に、そこの管理人に立候補。建物の管理や活用を計画しながら移住者のアドバイザーとしても活動するという。
さらに、畑にもレモンと梅の後は、アボカドも植えたいし、福岡市の企業とコラボしたハーブ栽培も動き出しを待っている。先日は棚田米作りを学ぼうと「つづら棚田を守る会」にも入った。
小屋松さんの“半農半X”は、今や農業・ビジネスという二つの分野を軽々と飛び越えてしまった。農業とビジネスが結びついて多様な方向へ展開を見せているのだ。こんな成長は、協議会や市役所にも予想がつかなかったのではないだろうか。
まさに、小屋松さんたちの農業は、畑の南高梅の苗と同じく、ゆるやかに伸びて大きな成果を実らせようとしている。もしかしたら、うまく育たなかったり、思わぬ困難や挫折が待っているかもしれない。でも、その苦味ですら、挑戦者たちは栄養にしてしまうに違いない。
3年後、いや1年後の二人の話もぜひ聞いてみたい。きっと今よりも嬉しそうに苗を見つめているに違いない。