うきはの名水と豊かな感受性で磨く
一杯のマンデリンが導く物語
Case.25
コーヒーは嗜好品だ。好きで飲むものだからこそ、単なる味だけではない何かを求めてしまう。自分の家で楽しむならまだしも、外で飲む場合は特に。
味わうタイミングや空間、それからコーヒーを淹れてくれる人にも、出向いた甲斐があるような“物語”を期待してしまう。そんなことはないだろうか。
かつて食堂として賑わった一軒家の中には、香ばしい煙を立てる焙煎機や外国語が描かれた麻袋、飴色のテーブルには使いかけの色鉛筆と黒くツヤツヤと光るコーヒー豆が置かれている。壁には幻想的なタッチの絵画とかわいらしい子どもの絵、昔の食堂の写真も飾ってある。
入り口すぐのカウンターでコーヒーを淹れる「KIRITO COFFEE ROASTERS」店主・濱幾里人さんの佇まいもこの空間にぴったりハマっている。
知らずにガラガラと戸を開けてしまった人は、この浮世離れした雰囲気に少し身構えてしまうかもしれない。けれども、深煎りのマンダリンの香りと意外にフレンドリーな濱さんのトークですぐに緊張はほぐれるだろう。
あとは、ゆっくりと一杯の物語に身を委ねてみよう。
濱さんは2年前にうきは市に移住し、「KIRITO COFFEE ROASTERS」をオープン。こちらはインドネシア産の「マンデリン」専門で、最高ランクの品種や希少種など、季節に応じて3、4種が味わえる。
初めてならば、苦味とのバランスが良く、深煎りならではのコクが味わえる「シナール」がおすすめ。しっかりとした飲み口ながら、苦味は柔らかく、するりと喉を通るなめらかさがある。コーヒー好きも唸る味の決め手は、うきはの名物にあるという。
「コーヒーって、98%ぐらいが水なんですよ。水で味が変わる飲み物なんです。うきは市に来たのも、理想の味を表現できる水があるから。日本の水って、コーヒーにすごく相性がいいんですけど、特に九州の阿蘇山系の水はおいしい。その中でもフレッシュな湧き水ではなく、阿蘇から5、60年かけてゆっくりと地下を流れてきたうきはの水が自分のコーヒーにぴったりだと思って。人の手では絶対にできない天然のフィルターで磨かれているから、すごくまろやかなんですよね」
濱さんは、リュックにコーヒー道具を詰め込んで九州各地の湧水の地を訪れ、実際にそこで火を焚いてコーヒーを淹れてはイメージに合う水を求めたという。
もちろん、コーヒー豆にも独自の美学は生きている。コーヒー豆は農作物なので、同じ品種でも一年ごとに出来不出来があり、品質は一定しないのが当たり前。焙煎の温度、湿度が一度でも変われば苦味も深みも変わる。機嫌屋の豆を理想の一杯に仕上げるコツは、手間ひまを惜しまないこと。
「コーヒーを淹れるのがメインの仕事だと思われがちですが、それはほんの一部分。虫喰いや割れた豆を取り除くピッキング作業が一番長いんです。インドネシアでは手作業で選別してもらっているし、焙煎で焦がせば見た目には虫喰いの跡なんてわからない。でも、品質が悪い豆が混じると雑味が出てはっきりと味が変わる。選別に時間をかければかけるほどコーヒーはおいしくなります。
大手メーカーだと大量の豆をマシンにかけて選別していますが、それだと虫喰いは見つけにくい。僕たちみたいに小さなロースターは、ピッキングの差で勝負できるんですよ。すごく地味な仕事なので向いている人じゃないとできないんですが、飽き性のはずの僕が不思議と続けられています」
コーヒーに向いていると自覚している濱さん。その出会いは小学生の頃、お父様とお母様に毎日コーヒーを淹れていたのが始まりだった。
「コーヒーを淹れるのが僕の仕事だったんです。見よう見まねでコーヒー豆をゴリゴリ挽いていましたが、味はよくわからない。両親は深煎りならなんでも飲んでいましたし、コーヒーが好きになったのは大人になってからです」
子どもの頃から児童劇団で俳優活動を続けていたものの、限界を感じて将来を模索していた20代。原点に戻ると、幼い頃に毎日のように淹れていたコーヒーがあった。スタートになったのは、両親が好きだったあの味だ。
「コーヒーを仕事にしようと思って、深煎りのマンデリンにたどりつきました。誰かに教えてもらうこともなく、その時住んでいた福岡市内のアパートで、銀杏を焼く網に豆を入れてコンロで一日中焼いて技術を身に付けて。コンロだと焦げるから、火にかけながら網を振り続けるんです。1回で12分くらい。初心を忘れないように、今でもたまにやるんですよ。店の焙煎機が壊れて修理に出している時は、1週間くらい網でやってました。量が多いからずっとふり続けなきゃいけなくて、もう地獄でしたね(笑)」
ストイックに味を追求する姿勢は、ともすれば近づき難い雰囲気を醸し出すものだが、濱さんはとても人懐こい。初対面でも次から次に面白いエピソードを披露してくれる。この建物がかつて食堂だったこと、画家であるお父様と詩人で絵画教室も営むお母様のこと、奥様と1歳になる紺白君のこと…。
話題の一つとして、うきはの飲食店、特に他のコーヒー店をおすすめすることも少なくない。
「他のお店の話をしすぎて、お客さんから、『もうちょっと自分の店についてアピールせんね』って怒られたこともありますよ(笑)。わざわざ足を運んでくれたから、リラックスして欲しいとか、うきはに来てよかったと思って欲しいとか、そんな事ばっかり考えてるんですよ」
「そういうおもてなしの気持ちは、うきはのお店さんに教えてもらったんです。この街でお店をやっている人って、自分の事だけ考えている人は少ない。大体どこに行っても他のお店を教えてくれるんです。うちも最初は皆さんからの紹介がほとんどでした。コーヒー屋さんがうちを紹介してくれてましたからね。そんな街は他にないですよ」
水がおいしいうきは市は、人口の割にコーヒー店が多い。個性的な店にはそれぞれ看板メニューがあり、バランスよく共存しているのも特徴だ。
「経済を回すためには市外からのお客様も大事。何度も足を運んでもらうには魅力的なお店が多ければ多いほどいいことですよね。コーヒーだって選択肢があった方がいいですし、皆さんにおすすめしてもらった分、自分もお返ししたいと思っています」
「KIRITO COFFEE ROASTERS」では、ゴミを減らす取り組みにも力を入れている。うきはに来た時に使い捨てのペーパーフィルターから手間のかかるネルに変え、販売用の豆を入れる袋にもこだわっている。
「持ち帰り用の袋は、再利用できるチャック式のものを用意しています。次回この袋を持ってきてくれたら割引にして。パッケージはうちの母が一枚一枚手描きでイラストを入れています。そうすると大事にしてもらえるじゃないですか。うちの父親は商業デザインもやっていたから、使い終わってポイッと捨てられちゃうのをすごく嫌ってて。それは才能を捨てているようなものだって」
単純に環境のためだけではない。ご両親の創作活動を見てきたからこそのアイデアだ。同じように、濱さんはうきは市の先人にも尊敬の念を抱いている。
「うきは市は生産者も企業もユニークでクオリティが高い。なのに偉ぶってないと言うか、自己主張していないんですよね。それって、一番かっこいい。類は友を呼ぶというけど、そんな人達がいてくれたから、次に続いてきたんじゃないでしょうか」
コーヒーに正解は無いと濱さんは言う。自分でおいしいと感じたものが一番なのだと。確かに、コーヒーの味わいを決めるのは濱さんのセンスに違いない。けれども、そこには尊敬する家族とうきはの人々への感謝、そして店を訪れるお客様を喜ばせたいという気持ちが宿っているのだと思う。
多くの出会いを経て、ますます味わいを深める濱さんのマンデリン。
その一杯は、あなたの物語の扉も開いてくれるに違いない。
【お店からのお知らせ】
<店舗情報>
店名:KIRITO COFFEE ROASTERS(キリトコーヒーロースターズ)
WEB:https://hamacoffee.thebase.in/
FB:幾里人珈琲焙煎所
Instagram:@kiritocoffeeroasters
住所:福岡県うきは市浮羽町山北226-9(旧まんぷく食堂)
TEL:090-9077-2923
営業時間:13:00~16:00、土日祝11:00~16:00
定休日:不定