恵まれた「うきは」の⾵⼟を活かした植⽊⽣産
家族で未来を⾒据えたグリーンサムを⽬指す
Case.32
⾵がそよぐ広い圃場で、爽やかな笑顔を⾒せる古賀丈暉(ひろき)さん。
⼀⾯に広がる苗⽊たちにスッポリと包み込まれ、時には優しく、時には厳しい眼差しで成⻑を⾒守る姿が印象的だ。
うきは市はフルーツの⽣産が盛んなエリアとして周知されているが、恵まれた⼟壌、⽔質、気候のおかげもあり、現在10軒の業者が植⽊・苗⽊の⽣産に⼒を⼊れている。
「有限会社 総合緑化コガキュー」もその中の1軒だ。
植⽊の⽣産・販売にとどまらず、⽗親(社⻑)の隆博さんは樹⽊医として、兄の政範さんは樹上⾼所作業を⾏うツリーワーカーとして、さらに⺟親の重⼦さんはハンギングバスケットの講師としてガーデニング教室を開催するなど、多岐にわたって緑化園芸事業を展開している。
現在、三男の丈暉さんが会社の経営を任され、⽣産管理、営業、⼈材育成など⼀⼿に担っているという。
創業は1970年。
聞けば、昔は⽶づくりと柿の栽培を⾏う農家だったそう。
ではどのような経緯で植⽊⽣産会社へと遷移していったのだろうか。興味津々だ。
「⽗親は樹⽊に興味を持ち、⼩学⽣の頃から盆栽を⼿がけていたようです。うきは市吉井町に隣接する⽥主丸町は、植⽊発祥の地で⽇本三⼤植⽊産地の⼀つですから。『⾃分も⽥主丸の植⽊屋みたいに輝きたい!屋号を⽴ち上げて会社を起こしたい!』と憧れていたそうですよ」
有⾔実⾏、⾃他共に認める⾏動⼒で着々と⼟地を広げ、植⽊の⽣産へとシフト。
持ち前のバイタリティーと営業⼒で売上を伸ばし、ついに1990年「有限会社 総合緑化コガキュー」を設⽴。
うきは市内(⼀部⽥主丸町)に⼤⼩含めて約30ヶ所(10ヘクタール)の圃場を保有し、80品種近くの樹⽊や植物が⽣産されるまでに成⻑した。
会社設⽴時は、昭和の⾼度経済成⻑期。
公園樹や⾼速道路の植栽帯への植樹など、公共事業の受注も多く、植⽊⻩⾦時代を駆け抜けてきた。
「⽗はアイデアマン。しかも⾃由奔放で、いい意味でワンマンかな(笑)。寝ても覚めても仕事が好きで、転んでもただでは転ばず、そこで何かを発⾒するくらいの⼈(笑)。そんな⽗は昔も今もカッコいい存在です」
そばで話を聞いている重⼦さんも「そうそう、昔はお⽗さん、カッコよかったわよね」と声を弾ませる。
家族で交わす会話ゆえ、もちろん忖度は⼀切ない。
リスペクトされている⽗親はまるで、何百年もかけて地に根を張り巡らせる巨⽊のよう。
強く、たくましく、そして偉⼤だ。
会社を任されている丈暉さんだが、引き継ぐにあたって葛藤はなかったのだろうか。
「⼦どもの頃から⽗親が運転するトラクターに乗せられたり、⽇曜⽇には決まって⼿伝いでしょ。植⽊屋を継ぐように上⼿にマインドコントロールをされた感じです(笑)。もちろん、葛藤はありましたよ。でも植⽊屋という仕事に育ててもらった恩がありますから、仕事で親孝⾏しないと」
⽗親の思いはしっかりと息⼦へと受け継がれている。
しかし、すでに基盤があった会社を任されたとはいえ、バブル崩壊後は厳しい時期が続いたそうだ。
ビジネスの壁に遮られながら、それでも丈暉さんが這い上がれたのは、⽇頃よく⾔っていた祖⺟の⾔葉のおかげ。
「⼈と同じことをしていたら⼈より上がることはない、⼈並み以上に動きなさい」
その⾔葉を信じ、「それなら他者の3倍だ!」と、反⾻精神のもと朝から夜まで必死に働いたという。
やがてその努⼒が実を結び、⻭⾞が回り始めた。
「あの頃は精神的にも相当苦しかったと思いますよ。でもよく乗り越えてくれました。⼀緒に仕事をしている3⼈の息⼦は性格も違うし、ここでの仕事の役割もそれぞれ。でも『三本の⽮』の⾔い伝えのように、いざとなればガチッと、いや、ガチッとはいかないかしら(笑)。まあそれなりにやってくれているから⼤丈夫でしょう」と重⼦さんは⽬を細める。
うきは市吉井町の⽩壁通りを通るたびに、ハンギングバスケットの美しい花々に⽬を奪われた⼈も多いはず。
うきは市と商店街の有志が集まってつくる「ハンギングバスケット設置協議会」が、まちの景観づくりのために取り組んでいる事業の⼀つだ。
ここで重⼦さんは年2回、花の選定など植え付けの⼿伝いをしているそう。
加えて「うきは市⺠⼤学」においても、寄せ植えやガーデニング教室の講師を務め、花々で満たされるうきはのまちづくりのために、20数年間寄与し続けている。
⽇本ハンギングバスケット協会のマスター資格を習得し、イギリスの「チェルシー・フラワー・ショー」などを訪れ、学びを深めた経験がおおいに活かされているのだ。
「地域の⽅々がまちの景観を良くしよう、⽩壁の町並みにお花(ハンギングバスケット)で付加価値をつけようと⼀⽣懸命に取り組まれているので、お役に⽴てて嬉しいです」
「じつは今、こうしてハンギングに携われているのはイギリスにいる私の恩⼈、チャーリーさんのおかげなんですよ。重⼦、何かをしようと思っていたらいつまでも考えていては始まらない。勇気を出して⾏動を起こしなさい!と背中を押してくれた⼈。
彼⼥と縁がなければ、今の私はないでしょうね」と⾔葉を繋いだ。
「有限会社 総合緑化コガキュー」では、排⽔性・保湿性のある良質な⼟づくりに余念がない。アンテナを張り巡らせ、情報を収集し、⼟づくりの試⾏錯誤を幾度と無く繰り返してきたという。
ようやくこの1〜2年、出荷率が伸びてきたと丈暉さんは笑顔をのぞかせた。
重⼦さんは「農業だけに携わり、農場だけにいても品質の良い植⽊が育つわけではありませんからね。今はITの時代でしょ。お⽗さんは『今の時代にあったやり⽅でやってもらえればそれでいい』とあたたかく⾒守っているようですよ」と優しく微笑んだ。
今後はどんな展開を抱いているのだろう。
「市場の動向や流⾏があるので、しっかりと⾃主選定して売れるものを⾒極めていく必要があります。種を植えればすぐに成⻑し、出荷できる訳ではないですから。質の良い植⽊を効率良く⽣産できるよう取り組んでいきたいですね」
近年異常気象のため、植物にとって、また⽣産者にとっても過酷な⽇々が続いている。SDGs、サステナビリティの考えのもと、今後、⼈々の⾃然環境への意識がどう⾼まっていくのだろうか。
緑のオアシスは地球だけでなく、⼈々の⼼も潤してくれる⼤切な存在だ。
うきはの⾵⼟、⼈、そして家族に⽀えられて。
喧騒と無縁のたおやかな⽥園地帯に佇む圃場で、植⽊⽣産への挑戦はつづく。
有限会社 総合緑化コガキュー
福岡県うきは市吉井町335-1
TEL:0943-75-5170
WEB:https://kogakyu.com