Case.24

楠森堂|河北家28代目 河北幸高さん

人と自然がつなぐ“おもしろき味”
唯一無二のお茶が醸す地域活性のビジョン

文:大内理加 (大内商店) /
写真:Akiko Suzuki


楠森堂の河北幸高さん。河北家の28代目として、約4ヘクタールの茶畑の他に米、柿も耕作している

ふぞろいだからこそ旨味は深まる
生命力みなぎる“在来種”の魅力

作り⼿の思いがこもった⾷べ物は、⼆つの喜びを持っている。味わう喜びとその背景を知る喜びだ。
例えば、採れたての野菜が⾷卓にのぼった時、⽣産者や周辺環境の話を聞くとより美味しくなった気がしないだろうか。逆に、その味わいから作り⼿の熱意を感じる場合もある。
⼿をかけたものが全て美味しくなるとは限らないが、美味しいものには必ずストーリーが宿っている。 ⼤⼩さまざまな茶葉が急須の中で踊る時、私の頭の中にはうきはの⼤地に⼒強く根をはる茶樹の姿が浮かぶ。⾃由に外出できない今だからこそ、その情景に⼼を慰められている。
美味しさのストーリーにはそういう働きがあるのだと、楠森堂のお茶を飲んで思った。


在来種の茶畑。性質が単⼀な改良種の茶畑は病気や害⾍に弱いが、在来種はさまざまな性質を持つためトラブルに強い。そのため、農薬を使用せずとも⼗分育つ

楠森堂の河北幸⾼さんが育てているのは、「実⽣(みしょう)」のお茶。約 1,200年前に中国から伝えられた茶の種や古来から山中に⾃⽣していた野⽣の種⼦を育てた茶樹で、「在来種」と呼ばれている。
かつては全国各地で栽培されていたが、昭和中期に品種改良された挿し木苗による栽培が主流となり、今や希少な存在になってしまったそうだ。

『在来茶』についての詳しい説明はこちら

⼀般的なお茶と在来種の違いは、茶畑の⾊を⾒⽐べるとわかりやすい。普通、茶畑と聞いて思い浮かぶのは、同じ⾊と⼤きさ、均質な茶葉を付けた茶樹が形よく並んでいる光景ではないだろうか。これは「やぶきた種」をはじめとする改良品種の茶畑で、同じ品種の苗を育成して増やす挿し木栽培によるもの。⽊々はどれも同じ性質を持つため、新芽の生育も形状も一定している。製品の見栄えも良く、管理しやすい上に⽣産性が⾼い。

対して、楠森堂の畑は淡いものや濃いもの、さまざまな緑が混じり合っている。近づいてみると葉の⼤きさや枝ぶりも茶株によって違う。異なる種⼦から育てられた茶樹ならではの特徴だ。⽣育時期も茶樹によってまちまちなので、剪定時期や茶葉を摘むタイミングを⾒極めるだけでも難しい。挿し木苗から育てた茶畑に⽐べると半分量しか収穫できないという。葉の⼤きさも均等ではないので、市場価格も低い。
河北さんが在来種の栽培を受け継いだ時は、同業者や周囲の⼈から「⾦にならんけん、やめておけ」と散々⽌められたそうだ。それでも続けるのには理由がある。


楠森堂茶園の在来種の茶樹は全て樹齢80年から100年以上の古⽊。⼀本⼀本異なる品種が⼀つの畑で育つ。優等⽣もいれば成⻑が遅い樹もあり、まるで学校の教室のようだ
 
うきはの山北地区にある茶畑。“まだら”に見えるのも在来茶園の特徴でもある

苦味も渋味も美味しさのうち
200年続く茶畑に新たな価値を

楠森堂のお茶づくりは、今から約200年前に始まった。阿蘇⼭噴⽕の⽕砕流で形成された⼤野原台地を江戸期に開拓し、酸性⼟壌でも育つ茶を植えたのがきっかけ。以来、周辺地域の⼈々と製茶業を続けてきたそうだ。
「私は15年前に河北家を継ぐため、父の実家のあるうきは市に家族と移り住んできました。と言っても、それまで農業の経験も無ければ、茶葉の違いさえ分かっていないくらいで、在来種を残すなんて考えてもいなかったんです。うちの茶畑も200年続いてきたとはいえ、改良品種茶へ転換せず、そのまま育てられていただけ。維持が大変なので、父もいずれは栽培を断念するつもりだったそうです。
でも、移住して改めて飲んでみると、苦味も渋味も旨味もすごく⼒強くて味が濃いんですよね。これだけおいしいお茶なのに、市場での評価が低く、買い叩かれている。気になって調べていくうちに在来茶は極めて稀少で歴史があることも知りました。古くから日本人が飲み親しんできた“実生の茶”が奇跡的に残っていたんですよ。時代の流れの中でいろんなものが失われている今だからこそ、在来種は時代を⽣き残るキーワードになるんじゃないかと感じたんです。これは絶対に守るべきだと」

在来種の茶葉。製茶後も⾊や形の違いが残っている

河北さんがうきは市に移住した当時、茶畑を管理してくれている⼈はいても専業で働く⼈はいなかった。先代のお⽗様も他に仕事を持っていたため、茶畑の直接的な作業には従事していなかったそう。河北さんは時間を見つけては市内の他のお茶農家に⼿伝いに⾏き、茶の生産栽培の知識や技術を体当たりで身に付けた。それでも、個性ひしめく在来種の茶畑に正解は無い。
「うちの茶樹は、何千年もの間に自然交配を繰り返し生み出されたもので、⼀本⼀本が他には無い品種です。畑の中に育つ数千種の木から摘んだ新芽をまとめて一つの商品にしているわけです。だから、お茶を淹れる時に急須に淹れた数グラムの茶葉は一枚一枚で大きさも香味も異なる。しかも、お湯を注ぐと、⼩さな葉っぱはすぐに開くし、⼤きな葉っぱはゆっくり開く。⼆煎、三煎と、⻑く楽しめる上、味わいも変化するんです。この味は一度限り、そう考えるとちょっとした感動を憶えませんか?」

「このお茶を飲んで懐かしいと泣いた⽅がいたそうです。やっぱり認められると嬉しいですよね」と河北さんはお茶を淹れながら教えてくれた

品種改良や栽培方法により抑えられてきたお茶本来の苦味や渋味を、在来種は⾃然のままにしっかりと残している。⽟露のように低温で蒸らせば、苦味や渋味はかどの取れたまろやかな旨味に変わり、⻑い余韻をもたらす。画一的な今のお茶に物⾜りなさを覚える声も少なくはないが、楠森堂のお茶はそんな⽅にも愛されているそうだ。さらに、豊かな⾵味を⽣かしてスイーツとコラボレーションすることで、若い⼈や海外の市場からも注⽬されているという。

在来種のお茶をツールに
「楠森河北家住宅」を守りたい。

自然豊かな地にひっそりとたたずむ様はとても絵になる

歴史を物語る趣きはもちろんのこと、その静けさと美しさに息を呑む

「河北家住宅」は近代⽇本美術史研究の先駆者、河北倫明の⽣家でもある。現在は予約制で邸内を⾒学できる

茶葉の営業やPRにも⼒を⼊れる河北さんだが、その活動にはもう⼀つの意義がある。茶畑と共に⼀緒に伝わってきた国登録有形⽂化財「楠森河北家住宅」の保存のためだ。 浮⽻で800年、35代続く河北家を象徴する「楠森河北家住宅」には、江⼾〜⼤正時代にかけて構築された主屋、住宅屋敷、新座敷に材⽊や味噌、炭などの蔵を含めた8棟が現存している。歴史的資料としても評価されており、2004 年には国登録有形⽂化財に指定されたほどだ。
「今の時代、こういう家もどんどん減っているんですね。⽂化財になっても所有者が維持できず、歴史ある貴重な建物であっても解体されてしまう例を近年よく耳にします。この家も⼀緒で、個⼈で守り続けるのは今の時代では不可能なんです。でも、先代から受け継いだこの環境を可能な限り残したい。 そのためのツールとして在来種のお茶を役⽴てたいと考えているんです。」

接客⽤に⽤意された⽊造平屋建ての「新座敷」へお邪魔すると、広々とした座敷の向こうに広がる庭園の美しさに圧倒される。聞こえるのは⿃のさえずりだけ。まるで別世界に⾜を踏み⼊れたようだ。河北さんがこの家を守りたいと思う気持ちがよく分かる。

変化が美しい紅葉の時期

鮮やかな苔に⾶び⽯が配置された庭は⽊漏れ⽇さえも計算されている。「どこを切り取ってもいい写真が撮れる」とカメラマンも太⿎判


初夏になると、敷地内の水路には蛍が飛び交う

建物の維持、管理には毎年多くの費⽤がかかるが、ただ⽀援を募るだけだとハードルが⾼い。そこで、河北さんは在来種の収益⾦から維持費を⽣み出したいと、パッケージに河北家住宅のイラストと説明⽂を⼊れた。
さらに、茶葉にも新たな価値を付けたいと、蔵で寝かせた「蔵出し茶」を開発している。
「現代では、茶葉は真空包装して、冷蔵庫などに保管するのが一般的です。でも、私の家には真空包装の機械も無ければ、茶葉を保存できるような冷蔵庫もありません。設備は江戸時代から残る蔵だけ。ある時、春に収穫した茶葉を蔵に保管して秋に取り出してみたら、すごく優しい味わいに変わっていたんですよ。調べてみると、茶道の世界でも春に摘んだ新茶を壺に⼊れ封印をし、ひと夏寝かせていたそうなんです。秋には壺を取り出して、封を切り、茶臼で粉末にして茶を喫する。これは『口切りの茶事』と言って、茶人の正月とも言われる一年で最も⼤事な慣しだそうです。古来からお茶のシーズンの始まりは秋だったんですね。それをヒントに、酒の蔵開きならぬ、“茶の蔵開き”があっても⾯⽩いなと。河北家ではちょうど紅葉のシーズンにあたるので、一緒に能や試飲のイベントを開催してね。今年で9回⽬なんですよ。」

在来種に覆いをして育てた希少なかぶせ茶「特上煎茶」、露地栽培の「上煎茶」、上質な⼀番茶を使用し優しく浅めに焙煎した「特上ほうじ茶」。パッケージには版画調の河北家が描かれている。ほうじ茶は中国茶好きや海外にも広がり⼈気なのだそう。裏面の説明分にはこう書かれている。
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『のどかな田園風景や果樹園が広がる福岡県うきは市浮羽町山北。日本名水百選の「清水湧水」があるなど、清らかな水に恵まれた自然豊かな地域です。
楠森 河北家は、この地で八百年の歴史を刻んできました。江戸時代から大正時代にかけて建てられた屋敷は、国の登録有形文化財に指定されています。
竹垣と楠の森に囲まれ、敷地内に張りめぐらされた水路には毎年初夏になるとたくさんの蛍が飛び交い、幻想的な光景が見られます。
また、近代日本美術史研究の先駆者、美術評論家 河北倫明の生家としても知られています。』
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新座敷では東京で能楽師をしている河北さんの親族が能を披露する催しも開催される(写真は春に開催されている雅楽の催し)

⼈と⼈を“結ぶ”ことが 地域を豊かにするヒントになる

⽵垣の中⼼を⽀える4本の竹縁(たけぶち。板や杉⽪などをおさえるために打ちつける⽵)は孟宗⽵、その合間に数千本もの細い⽵を挟んでいる。竹縁は⾓に合わせ火で炙り曲げるそうで、これも昔ながらの特別な技術が必要

「楠森河北家住宅」では、もう⼀つ、300年以上毎年続く恒例⾏事がある。屋敷を囲む⽵垣を修復する「壁結(かべゆい)」と呼ばれる作業だ。山から竹を切り出し、加⼯、吹き替え、補修まで、⼤勢の⼤⼈が協⼒して取り組む。以前は周辺の⽅が⼿伝ってくれていたが、近年は⾼齢化で⼈⼿が減少。この地域で生まれ育っていない河北さんは、小学校のPTAの役職を務めるなど、まずは地域の人とのつながりを作る活動から始めたそうだ。その成果もあって、新たに⼿伝ってくれる⼈も出てきた。

「この家を守るために移り住むことを決めたんですが、いざ来てみると地域の⽅の⽀えなしではとてもやっていけない。この壁結もそうです。⼤変な作業だからこそ、皆で団結しなければできない。そうやって地域のつながりは続いているのだと思います。壁結を手伝ってくれた親戚がこう言っていました『壁結の“結”という字は、⼈と⼈を“結ぶ”って意味があるよねと』と。その人は、生まれた子供さんの名前を“結(ゆい)”とつけたんですって。参加する方も強い思い入れを持ってくれているんですよ」

細い⽵が寄せ集まって⽴派な⽵垣ができるように。そして⼤きさの異なる茶葉が深みのある味わいを奏でるように。地域で協⼒することで、うきは市の新たな可能性につながると河北さんは肌で感じている。

「外からこの地に移り住んできた私から見ると、うきは市はフルーツなど食材も豊富で、自然環境が素晴らしい。それに、福岡都市圏にも近くて交通の便もいい。コンパクトな中にいろんなものがあるし、とてもポテンシャルが⾼い⼟地だと思うんです。移住した十数年前、まだ今のようにうきは市に目を向けられていないときでしたが、来てすぐに可能性を強く感じました。地域の中で埋もれているけれど、魅力的な資源はいくらでもあるはず。アイデアや伝え方次第で可能性は大きく広がります。だからこそ、若い世代の⽅ももう少し⽬を向けて欲しい。私が在来茶で結果を出すことで、若い⽅が『うきは市で何かやれるかも』と気付いてもらえたらいい。そんな思いもあって続けているんです」

最近は⼈のつながりを⼤事にしたいと、畑の⾒学やブログなどでの情報発信にも熱⼼に取り組んでいる。海外のメディアの取材やショップからの問い合わせも増えてきたという。“規格外”として評価されなかった「在来種」の可能性は、ゆっくりながらも確実に芽吹いている。気づけば「河北家住宅」はもちろん、うきは市の未来にも⼤きな葉を伸ばすほどに。苦味も渋味も美味しさに変えて、これからはどんな⼀杯を楽しませてくれるのだろうか。

<INFORMATION>
楠森堂(国登録有形文化財「楠森 河北家住宅」)
住所:福岡県うきは市浮⽻町⼭北2056
TEL:0943-77-4019
https://kusumoridou.com/

河北さんのfacebook
https://www.facebook.com/yukitaka.kawakita

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